子供のころのはなし

最近、何がきっかけかは忘れましたが家族での食事について思い出すことがありました。

多分、将来のことについて考えていたのかなと思う。家族のことについて。

そして昨日実家に戻った際に思ったこと。

今もですが、家族そろってのごはんが本当に僕は嫌だったなと。

今も正直言うと嫌ですが、ただで食事を出してもらっているし、ごはんを残すのはもったいないから

ちゃんと一緒には食べますが。

原因は両親がそろうと雰囲気が悪くなる。

子供のころは家族がそろって夕飯を食べるとき、いつも父と母が揉めることになっていたので、

早く食べて、食器を片付けて2階に上がりその悪い雰囲気から解放されたかった。

僕が小学生だったころ、父親が1度浮気をしたことがあった。

母親はもちろん激怒した。3人の子供を育て、仕事をしていたのにも関わらず、父親がこんなろくでなしだったので。おこる理由は当然、至極全うである。

そこから家族にひびが入った。

その浮気が発覚した時は、家族会議みたいなことになった。いろいろなことはあったが、母親がゴムのホースで父親をたたき、子供である僕たちにも父親を罰としてたたくように指示をした。

当然、僕たちはその情けなくて悲しくてどうしようもないやり取りにただ泣くしかなかった。

その後も関係は悪くなり、ある夜には夜中に母が父に怒って、取っ組み合いのけんかになった。

母は窓を開け、夜の街に向かって「父は浮気者だ」と叫ぼうとしていた。

父親はなんとかそれを止めようと母の両腕をつかんで止めようとしていた。

一緒の空間でこんなものを見せられてただ悲しかった。

そして、ある時には母が父親の服の袖をハサミで切り刻んでいた。

もちろん、僕たち兄弟が見える前で。どうしてこんなことをするのか、と言いたくなるが、

ただ目を逸らすことしかできなかった。そしてなにより悲しかった。

そんな雰囲気の悪い日が何日も続いた。

僕の実家の隣には祖父の家もありました。

そして祖父が亡くなり、祖母は老人ホームに預けられた。

葬式が終わって祖父の家の整理が終わったころには、父親は祖父の家に住むようになり、

別居状態になった。

それでも夕飯はたまに家族で一緒に食べることはあったが、父親が仕事が終わって夕飯を食べにくる以外に家にくることは基本的になかったので、

母親が夕飯のときに父親にいろいろ近所の付き合いでの行事の話だったり、家計の話、田んぼの話などをする。

父親はシカトをするか、言いたいことは紙に書いておけといったりと最悪の雰囲気だった。

そんなことを言うので、母親のフラストレーションが上がり、声を荒げることがあったりしたので、

本当に雰囲気が悪かった。一緒に食事をするのが嫌で仕方がなかったが、小学生、中学生なので

親に歯向かうわけにもいかないので、黙って食事を終えて、食器を片付けその場を離れた。

書いている途中で思い出したが、これはカーテンの留め具の糸が解れてしまったため、

僕が縫い直していた時に思い出したことでした。

両親のいざこざがあり、父親のパジャマのズボンの膝の部分が大きく破れボロボロになっていた。

父親はしばらくボロボロのパジャマをそのまま履いていた。僕はその情けないパジャマ姿の父親を見るのが、悲しかった。

小学生の授業で裁縫を習うことがありました。ある時、自分の裁縫道具で父親がいないとき、

そのボロボロのパジャマのぽっかり空いた膝の穴を縫いました。

これであの悲しい穴を見なくて済むと思っていたが、その日から父親のパジャマが変わったので、僕の努力は日の目を浴びることはありませんでした。それでいいのですが。

そんなことを思い出して、こんなくだらないことを書いてしまいました。

ただ絶対にこの経験からその場の雰囲気が悪くなることは絶対に避けたいなと思うようになりました。

浮気なんかしないのが当然だから、言わずもがなですが。

そう思うと、子供のころは母親には僕自身いろいやられたことは覚えています。

何か悪さだったり、さぼったりしていたことがあったり、食事の手伝いをおろそかにしたことがあって。

よづんばいにされ、しりをださせられ、物差しで思いっきりたたかれたり、ベルトでもしりをたたかれたり。フォークやものを投げつけられたりと。今考えると恐怖だなと思います。

だから、僕が家庭をもったときはせめて、パートナーと子供に悲しい思いはさせたくないと思います。

そんな環境だったけど、離婚せずに育ててくれた親に感謝しないといけない。

自分の努力が足りなくて今はまだ親孝行はできていないので、いつかはできるように努力して結果をだしたいと思います。

頑張ります。

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